2006年08月23日

◆新羅神社考、新羅神社と新羅明神の謎(一)

◆新羅神社考、新羅神社と新羅明神の謎(一)


◆新羅神社考、新羅神社と新羅明神の謎(一)

 ※出羽弘明氏の『新羅神社考-「新羅神社」への旅』(三井寺のホームページで連載)を紹介する。出羽弘明氏は「新羅神社と新羅明神の謎」について、現地に出向き詳細に調べておられる。そこからは、古代、日本と新羅との深い関係が窺える。内容を要約抜粋し紹介する(新羅明神、白髭明神、比良明神、都怒我阿羅斯等、天日槍、伊奢沙別命、素盞嗚尊、白日神、新羅神など)。

◆◇◆新羅神社考、新羅神社と新羅明神の謎、奥州(陸奥国)

 東北地方には、八幡神社・賀茂神社・新羅神社が数多く存在しており、それらの神社については源氏三兄弟(源義家〔八幡太郎義家〕・源義綱〔賀茂次郎義綱〕・源義光〔新羅三郎義光〕)にかかわる伝説が伝わっている。東北地方の新羅神社・新羅明神は、源氏の将・新羅三郎義光の子孫が園城寺(三井寺)より勧請したものであることは確かなようで、新羅三郎義光や新羅系渡来人と縁の深い土地に鎮座している。

 青森県には「新羅神社」が三社と、合祠の「新羅神社」が一社ある。青森県八戸市の新羅神社(長者山新羅神社)は、神社発行の案内書によると、祭神は「素盞嗚尊」と「新羅三郎義光命」の二神、相殿に六神。御神体は、「素盞嗚尊」については「鏡」、「新羅三郎義光命」については木造の座像であるとのことである(明治二年の神社制度確立により社号を三社堂から「新羅神社」に改め、祭神も「八坂神社」「新羅神社」「金毘羅宮」となって三社合祀の社殿とされている。昭和五十一年「長者山新羅神社」と改称)。

 また、青森県三戸郡南部町(南部郷〔甲斐・山梨県〕より入部した南部氏の領した土地)の新羅神社も、祭神は「素盞嗚命」と「新羅三郎義光」の二神である。青森県上北郡十和田湖町大字奥入瀬字北向十(下川目)にも新羅神社がある。祭神は「新羅三郎義光」で、創建年代は不詳だが、南部光行本人か或いはその子孫に関係があることは間違いなさそうだ。さらに、青森県八戸市八幡字八幡丁三番地の「櫛引八幡宮」に「新羅神社」が合祀されている。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ at 22:16│Comments(2)スサノヲの日本学
この記事へのコメント
出雲風土記と記紀神話の類似性

 島根県安来市は不思議な話が残っている。
安来の夏祭りに月の輪神事というのがあるが、
これは、出雲風土記に、語部の長たる男の
娘が、浜辺でワニに食われ、出雲の神々の協力
でそのワニを探し出し、復讐を遂げるもので、
これは因幡の白兎の原形の神話とも考えられる。
 また、意宇郡(安来)母里郷では越の八口を
大穴持神が退治して帰ってきたとの話が残って
いる。これはスサノヲの古志の八俣之遠呂智の
話に類似している。
 この出雲東北部に見られる神話は記紀の話
と類似性が高く、更には鉄の王スサノヲがこの
「安来」という地名を命名したとの記述も出雲
風土記には見られるのである。
 このような類似性も多く含んでいるのに、風土記
研究は出雲の独自性を強調するあまり、記紀との
類似性の視点が欠けていた。記紀の1/3は出雲
のことが書かれているのに、そのことと出雲風土記
が全く関係ないものとしていた研究態度には
大いに不自然さを感じるのも否めない。
Posted by 大同鋼 at 2007年09月18日 21:10
 やはり、縄文風の国土創成神話をもつ語部を擁したところが、初期の王権を確立したと思われます。弥生期には大和王朝とちがう王朝があったと考えることも出来ます。
 島根県安来市には記紀の国生みのはなしと出雲風土記の国引きの話が並立して残っているところでこのような得意な場所に初期の(出雲)王朝みたいなものが発生したとみると、考古学的な証拠などともある程度整合性がでてくるのではないかと考えております。
Posted by クナト学派 at 2007年10月07日 20:57
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